★月刊・沈黙の兵器 第00015号 '06/04/30 ★

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水は答えを知っている」という本を読んだ。
 以前から読みたいと思っていた本である。
 2つのコップに水を入れてラベルを貼る。一方のラベルには、「ありがとう」と書き、もう一方には、「ばかやろう」と書く。そしてそれを氷結させて結晶を写真に撮ると、大きな違いが出てくるのというのである。

写真は、I.H.M.総合研究所
より転載しています。
「ありがとう」の結晶
「ばかやろう」の結晶
 

この現象について、肯定的な意見もあれば、否定的な意見も、当然ある。
 だがもし本当であれば、確かにこれは人類史上で最大級と言ってよいほどの大発見ではないか?
 これほどのものは、自分で実験しないと百%信じるわけにはいかない。正直半信半疑。
 ところが実験するには、かなりの設備が要るようだ。摂氏マイナス5℃の実験室などなど…。
 そしてかりに設備を整えても、実験には最低各50個のコップ(サンプル)が必要というから、逆に言えば百%必ず結晶ができるわけでもないらしい。
 ということは、統計的手法で検証するしかないのだが、そのあたりがちゃんと書かれていないのが残念だ。つまり「ありがとう」のコップ(サンプル)50のうち、10について結晶ができて撮影が成功したとか、その10がほぼ同じ形状の結晶であったとかなかったとか、そういう議論が必要だと思う。ところが1つの結晶写真だけを見せられて、「ありがとう」はこうなった…、と言われても半信半疑にならざるを得ない。
 だからと言って、これを否定するわけでもない。半信半疑ということは、半分信じているからだ。いずれ何らかの方法で実験したいと思っている。ちなみに簡単にできる方法としては、お米を使う方法(リンク先の中程)があるので、やってみようと思っていますが、皆さんもやってみて報告してくださればありがたいです。

■■■ 新約聖書と旧約聖書■■■

前号までで、旧約聖書を「素直に」解釈すると、次のようになる:
 1)天地創造の神は複数おり、エホバ神はそのひとつ。
 2)エホバ神は、イスラエルの民族神である。ただし厳しい「契約」が必要。
 3)契約の民イスラエルのためなら、他民族への殺戮・略奪・偽証なんでもOK。
  (有名な「汝殺すなかれ」などは、仲間内だけの戒め)


★★ イエスの神はエホバ神ではない? ★★

一般的には、そして特に日本では、
  「新約聖書におけるイエスの神は、旧約聖書における神、つまりエホバ」
であると理解されている。
 キリスト教では、神父さんや牧師さんも、それを当然のこととして教えている。
 しかし筆者は、
 「新約聖書におけるイエスの神は、旧約聖書の神エホバではない」
と主張したい。
 実はこの主張は、ユダヤ教からみたら当り前なのである。
 ユダヤ教とは、トーラ(日本語では律法と訳され、キリスト教では旧約聖書と呼ぶ)と、その解説書タルムードを核とした教えで、がちがちのエホバ信仰である。「エホバ」と神の名を口で発音するだけでも畏れ多いと、彼等は神を通常「アドナイ」と全然違う発音で読むくらいなのだ。
 そしてユダヤ教では、イエスの教えは否定されている。
 だから今日でも、イスラエルでは本屋に新約聖書は置かれていない。当然ながらクリスマスも祝わない
 アメリカでも、イエスの教えを肯定する少数のユダヤ教徒を「Jews for Jesus」と異端扱いしている。
 もしユダヤ教が、「イエスは神エホバの子ども」であると認めているなら、このような扱いはあり得ないではないか。
 だから少なくともユダヤ教は、筆者のこの主張を認めていることになる。

イエスの出生は次の有名な一節である:
 『イエス・キリストの誕生の次第はこうであった。母マリヤはヨセフと婚約していたが、まだ一緒にならない前に、聖霊によって身重になった。』(マタイによる福音書・1章・18節:日本聖書協会訳・以下同)
 ここで分かるのは、イエスの実父は『聖霊』とあるだけで、神エホバである保証はない。この聖霊が神エホバであるなどとは、キリスト教側が勝手にデッチあげたヨタ話であるくらいに、ユダヤ教側は本音では思っている。ただし、この聖霊が神エホバであるとした方がキリスト教への優位を保てる側面があるので、表向きは特に否定しない。いやむしろ肯定意見をサポートするくらいではないか。(賢明なる読者はこの「政治的」意図を理解してほしい)

またユダヤ教では、同様の政治的意図で否定はしないが、本音は「イエスはユダヤ人ではない」と考えている。
 そもそも、その実在すら疑っているのではないか?
 イエスがユダヤ人だとする根拠は、次の新約聖書の記述による:
 『アブラハムの子であるダビデの子、イエス・キリストの系図。アブラハムはイサクの父であり、イサクはヤコブの父、ヤコブはユダと…………ヤコブはマリヤの夫ヨセフの父であった。このマリヤからキリストといわれるイエスがお生れになった。』(マタイ・1章・1〜16節)
 『ヨセフもダビデの家系であり、またその血統であったので…』(ルカによる福音書・2章・4節)

 しかし、イエスは『聖霊によって身重』になったのであって、マリアの夫ヨセフの実子ではないとハッキリ書いているのであるから、また母マリアの系図はなにも明らかにされていないのであるから、イエスがユダヤ人であることは定かではない。というか、夫ヨセフの系図を出すこと自体が、無理があり、根拠にはならない。

もっとも、イエスが神エホバの子どもであることに肯定的な記述はいくつかある。例えば:
 『わたしが律法(筆者注:つまりトーラであり、キリスト教のいうところの旧約聖書)や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。』(マタイ・5章・17節)
 『「わたしは、イスラエルの家の失われた羊以外の者には、つかわされていない」。』(マタイ・15章・24節)

 本誌が繰り返し述べたように、エホバはイスラエルのため(だけ)の神である。それに肯定的な発言は、彼が神エホバの子どもである裏付けとも取れる。
 だが、これは彼の「布教」の過程の前半部分で述べた言葉であり、律法(トーラ)を信ずる絶対的多数の人々により構成された当時のユダヤ社会に対して、政治的意図のある「リップサービス」と考えることはできないか?

それは筆者の私見、筆者の解釈にすぎない、と思われる読者もいるだろう。その気持ちは理解できる。
 また2000年ほど昔の話を、ヨセフがどうのとか、律法がどうのとか言われても、確証には至らないと思われるのが「正常」な神経である。
 そこで最近「流行り」のプロファイリング手法というか、イエスの教えと、旧約聖書の教えが、どれだけ違うかという観点から、次号では考察したいと思う。


★★ おわりに ★★

筆者はこれまで、毎月このメルマガの執筆に、約2日は費やして書いてきた。
 文才が無いせいもあるが、やはり重たい内容なので、引用する資料にも正確を期したり、できるだけ論理的実証的にしようとするあまり、かなりの時間を費やしてきたのだ。正直、金銭的収入に恵まれない筆者には、かなりの負担であった。
 一方、複数の読者から、内容が重過ぎることもあり、多用な日々のなかで送られてきた本メルマガを読むには、量的に多いとの意見があった。
 ならば両者の一致する解決策として、量的に減らしてみることである。
 ということで、本号は今までより量的にかなり減らしてみた。
 あまり力を入れ過ぎてもかえってマイナスになる。それよりも継続が力であるから…。


「月刊・沈黙の兵器」
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■次号の予定: 「旧約聖書と新約聖書(2)」

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/E