《 肉食・養殖を廃絶して熱帯雨林やマングローブを守れ! 》

Part-1: <肉食・養殖は大きな環境問題だ> Part-2: <肉食の健康に関する是非の経緯> Part-3: <有名なルソー「エミール」抜粋>

【Part-1】----------------------------------------------------------- <肉食・養殖は大きな環境問題だ>

 最近の日本人の“肉好き”は半端でない。ちょっと集まればすぐ焼き肉パーティ が始まる。世界中を旅した知人がいうには「韓国人と日本人が一番たくさん肉を食 べるね」。本当は白人の方が食べているのだろうが、客人がくると肉がもてなしの 代表のように考える人が多いので、そう思ったのだろう。食堂で野菜炒めを頼んで も、たいてい肉が入っている始末である。  現在のペースでは、日本人1人は一生の間に肉を2トン強も食べる勘定だ。これ は約6頭の牛に匹敵する。これに人口の1億2千万をかけると、現存する国民は、 7億頭以上もの牛を喰うのである。いっぺん皆さん、これだけの数の牛を並べてみ なさい。なんと可哀想なことをしているのだろうか!   「オレは肉が好きだ.他人のことは放っといてくれ!」  もし資源が無限に存在し、もし環境が今ほど深刻な状態でなかったら、こうした 発言を私はいくらでも容認することができる。  しかしもはや許すことはできない現状なのだ!!!! (;-_-メ;)

 1)熱帯雨林消失の半分以上の責任は畜産業にある!    (NGOよりブラジルに7年以上派遣され森林保護の研究に従事したW氏の     証言.その他多くの資料)  2)肉を生産するのに必要な土地の面積は、穀菜食の場合の11倍!    (農水省調べ・NHK教育テレビ放映.その他多くの資料)  3)「地球を救う133の方法」より    (三友社出版,羽生康二・Hilary Sagar・堀康雄)  アメリカ合衆国で食用に飼育される動物たちは、合衆国の人口の5倍以上の人間 を養うことのできる穀物を食べる。もしアメリカ人(注:約2億5千万人)が肉食 を10%へらせば、毎年節約される1200万トンの穀物は、地球上で現在餓死している すべての人に食物を供給できるだろう。畜産業は以下のような事態をひきおこして いる。すなわち、表土流出の85%に対し責任があり、2億6千万エーカーもの森林 破壊をもたらし、国内の水消費の半分以上を使い、毎日2百億ポンドもの肥料を使 い、地下水を汚染している。そして穀物にすれば同じ量のタンパク質を生産するの に必要な量の25倍もの化石燃料を使う。農薬は地下水を汚染し、野生動物を殺し、 農薬に対し抵抗力をもつ害虫や大量発生の引き金となる。  4)中国がついにトウモロコシの輸入国に転落.原因は肉食の普及    (94年頃の新聞その他の報道)

 現在世界の人口は約60億人。1800年頃まで約10億人であったものが、1900年 頃には約20億人、1950年頃に約40億人、と急激に増加を続けている。このまま では間違いなく近い将来に「食糧問題」が深刻化するのは火を見るよりも明らかだ。 ならば「土地利用効率の極端に悪い肉食」を廃絶するべきだと小学生でも分かる話 なのに、反対に益々蔓延しているのは、もはや「末期症状」と言うべきか?  それどころか、環境保護を叫ぶ団体の運動家達の殆どが肉を食べている。先日も 京都で開かれた外務省主催の「環境シンポ」に出かけてみると、懇親会の立食パー ティでは肉中心のメニュー・・。皆んなウマそうにパクパク・・。

 5)牛が反芻する際に放出するメタンガスは大量    (97年末の世界環境京都会議においても問題に)  しかもメタンガスは二酸化炭素の20倍近い地球温暖化の要因となっている。  6)エビの養殖でマングローブの多くが壊滅状態に!    (最近99年のNHK特別番組など)  南米の海岸線にはマングローブと呼ばれる植物群が繁茂しており、豊かな生命層 を形成している。それが近年「エビの養殖」ごときのために根こそぎどんどん伐採 されているのである。しかもたった3年だけでその場所は放棄され、別の場所に移 動する。エビにとりつく寄生虫を駆除する目的で強力な薬品を使用するため、周辺 の環境が使いものにならなくなるからだ。後には荒廃した風景が残る・・。  養殖とは「経済論理」からくるもの以外のなにものでもない。そのために、これ だけの自然破壊が行われ、近い将来、人類自身の首を絞めることとなる。  高くても「天然物」の海産物を買おう!!

【Part-2】----------------------------------------------------------- <肉食の健康に関する是非の経緯>

 1)「過剰な活性酸素を体内に生成」  かって某健康雑誌に「肉食は健康に良い」的な内容の医学博士の記事が載った。 その主旨をまとめると、「肉食後の細胞内の酸素活性量が増加」したとの実験結果 を示して、このように肉食は体を活性化するので良い、との内容であった。しかし 現在では「病気の85%の真因は活性酸素にある」とか、「酸素は本来、生命進化 上での考察からも当初猛毒として作用していた」(NHK特別番組等)との研究が 明らかになったことで、肉食と酸素を結びつけた肉食賛成派の「最後の抵抗」は逆 に自らの過ちを認めるかたちとなったのである。  さすがに最近は、お昼のTVワイドショーや書籍・雑誌等も、肉食を積極的に是 とする説を紹介する番組は殆ど無くなった。(と私は認識している)  これは「進歩」ではあるが、一方で「肉食をしても野菜を充分かつ適当に組み合 わせれば問題無い食事ができる」、との内容に変化しているように思う。果たして これは真実であろうか?  2)「野菜食との組み合わせで猛毒の硝酸アミンを生成」  野菜をたっぷり食べれば肉食も大丈夫、は今は昔の話だ。残念ながら「農薬たっ ぷり」の現代の野菜と組み合わせれば、腸内に「硝酸アミン」等の極めて毒性の高 い物質が生成されることが明らかになってきており、これが癌などの大きな原因と なることを指摘する学者は少なくない。  3)「抗生物質が耐性菌を発生させ、病気時に薬効ダウン」  「肉」を飼育するには、病気予防のための抗生物質を飼料に添加する。これによ って多くの耐性菌が世界的中で発生して問題になっている。また人間がいざ病気に なったときに、与えられる薬の抗生物質の効きめが悪くなる。  4)「女性ホルモンで男性の女性化が促進」  また、「肉」をやわらかく、おいしく、早く成長させる目的で、女性ホルモンの 一種であるエストロゲンも飼料に添加される。男性の女性化が叫ばれて久しい。  5)「着色料等で化粧されて店頭にならぶ」  肉屋のショーウインドーにある赤くておいしそうな肉・・?。しかし実体はそう 見えるように化粧されているだけである。赤の人工着色料を添加して、赤く見える 照明光をあてる。還元水等でその着色料をはがし、日光の下で見える本当の色は、 なんとドドメ色ではないか!?。考えてみれば、死んでいくらも経っているのだから そんなにきれいな訳がない。また輸入肉に至っては、港でハエがたかっているのを 見た友人もいる。最近は改善されたかどうかは知らない。  6)「肉食は性格を攻撃的にする」  高校時代、世界史の有名教師(谷口先生であだ名はポンチュー)が曰く:『世界 史は、狩猟民族(肉食)の農耕民族(菜食)に対する侵略の繰り返しである』とは 名言である。知人の韓国領事R氏によると:『韓国人が肉を食べるようになったの は元が侵攻してきてからだ』と証言している。日本でも敗戦の原因を「ビフテキを 食べなかったから」とまで言って、戦後肉食が本格化した。それまでは都会の一部 の人々しか肉を食べなかったのである。  有名な実験がある。ラットを、肉食グループと穀菜グループに分けて飼育すると、 後者は平和に仲良く暮らすのに、前者は攻撃的で争いが絶えない。  7)「肉食には中毒性がある」  強い酸性食品であるため、それを「中和」するために多くのタンパク質が必要と され、そのためにさらに肉を食べたくなる。酒やタバコのような中毒性があること をあまり知られていない。  余談ながら、血液が酸性化すると骨のカルシウムが血中に溶け出してくる。そん な条件でいくらカルシウムを食べても、血中濃度が増えて排泄されるだけでカルシ ウム不足は解決しない。それどころか排泄されるカルシウムが腎臓にたまって結石 の原因となる。またカルシウム不足は、最近の子供達が「キレる」大きな原因だと 指摘する研究者は多い。  8)「肉食を推進するグループがいる」  かって1970年頃、アメリカ議会の調査委員会が「健康に理想的な食事は日本食で 肉食は制限されるべきだ」との報告書をまとめた。そしてそれに関する法案を作成 しようとしたところ、多くのロビイスト達がやってきて妨害した。  現在でもその力は、大きく隠然と働いていると聞く。  この人たちは何者なのだろうか?  9)「肉食は内在知を阻害する」  実は私が肉を食べない最大の理由がこれ(と環境破壊の問題)だ。内在知とは聞 き慣れない言葉かもしれないが、要するに、「あなたは自分で牛を殺せますか?」 ということだ。もし少しでも可哀想という気持ちがあれば食べるべきではない。  可哀想という気持ちは、何を意味するのか?。人間がもっているもので何ひとつ 無意味なものは無い。眉毛は汗が目に入るのを防ぎ、睫毛は目に埃が入るのを防い でいる。この可哀想という気持ちは、それをしない方が良いですよ、と内なる叡知 が教えてくれている(だから内在知と言う)、と私は解釈する。ところがこの内在 知の教えを無視して肉を食べればどうなるか。当然、内在知の力は衰退する。  私のように研究開発の仕事をするものにとって、インスピレーション(この英語 自体、内に吹き込まれた力を表す)または直感力(英語でインサイト=内なるもの を観る力)は重要だ。これが衰退してもらいたくない。  また野生の動物は、例えば農薬の付いた食べ物と無農薬の食べ物の見分けは一瞬 につけられるし、自分の身体が必要とするものを直感的に選んで病気をしない。こ れも、私のいう内在知が正常に働いているお陰なのだ。  内在知が阻害されれば、心と体の健康が損なわれるのは、むしろ当然である。

【Part-3】----------------------------------------------------------- <有名なルソー「エミール」抜粋>

   (岩波文庫33-621-I「上」pp.262〜267,ルソー著・今野一雄訳)

 イギリスでも屠殺人は外科医と同じように裁判の証人にはなれない。ひどい悪党 は血をすすることによって人を殺すことをなんとも思わなくなる。ホメロスは肉を 食うキュクロポスを恐ろしい人間にしているが、食蓮人は愛すべき民族として、ひ とたびかれらとつきあいをはじめると、人はたちまち自分の国さえ忘れ、かれらと 一緒に暮らしたくなる、と言っている。プルタルコスはつぎのように述べている。  「ピタゴラスはなぜ獣の肉を食うことをさしひかえていたのか、ときみはたずね る。しかし、わたしは反問しよう。殺した肉を自分の口にもっていき、息たえた獣 の骨を歯でかきくだき、死んだ肉体、死骸を自分のまえにもってこさせ、さきほど までないたり、ほえたり、歩いたり、見たりしていたものの肢体を胃袋のなかにの みこむ、そういうことを最初にした人はどれほどの勇気をもっていたのか。感覚を もつ生きものの心臓に剣を突きさすようなことがどうしてかれに手にできたのか。 かれの目はどうして殺害に耐えられたのか。抵抗もしないあわれな動物の血をしぼ り、皮をはぎ、肢体を切るようなことをどうしてかれは見ていられたのか。どうし てピクピク肉が動く光景に耐えられたのか。どうしてその匂いが吐き気を催させる こともなかったのか。傷口の汚物をいじったり、そこに黒く固まった血をぬぐった りすることになったとき、どうして嫌悪を感じることも、顔をそむけることも、恐 怖にとらえられることもなかったのか。   皮を剥がれて地上にうずくまり、   肉は串ざしにされ、火にあぶられてブツブツいっていた。   人は身をふるわさずにそれを食うことができなかった。   そして自分の腹のなかにうめき声を聞いた。  その人が自然を克服して、はじめてそういう恐ろしい食事をしたとき、はじめて 生きている獣に食欲を感じたとき、まだ草を食っている動物で自分の身を養おうと したとき、そして、かれの手をなめている羊を殺し、切りきざみ、料理するには、 どうしなければならないかと言ったとき、その人は右のようなことを想像し、感じ なければならなかったのだ。そういう恐ろしいごちそうを食べはじめた人々にたい してこそ驚きを感じなければならないのであって、それをやめた人々にたいしては 驚くことはない。さらに、そういうことをはじめてした人々は、かれらの野蛮な行 為をなんらかの理由によって弁解することができたのかもしれないのだが、わたし たちの野蛮な行為には弁解の余地がないのであって、こういう欠点はわたしたちを かれらより百倍も野蛮な人間にしているのだ。  神々の深い恵みをうけている人間たちよ、とそれらの太古の人々はわたしたちに むかって言うにちがいない、時代をくらべていただきたい。あなたがたはどんなに しあわせであるか、そしてわたしたちはどんなにみじめであったかを見ていただき たい。新しくつくられたばかりの大地と、蒸気がみなぎっている大空は、まだ季節 の命令に従順でなかった。川の流れは定まらず、あらゆるところで岸を押しひろげ ていた。池、湖、深い沼は世界の表面の4分の3を水にひたしていた。残る4分の 1は不毛な森と林に覆われていた。大地は有益な産物を一つも生みだしていなかっ た。わたしたちは土をたがやす道具を一つももっていなかった。それをもちいる技 術も知らなかった。そして種をまかない者のところに収穫の季節はけっして訪れる ことはなかった。だからわたしたちはたえず飢えを感じていた。冬になると苔や木 の皮がわたしたちのふだんの食事だった。ハマムギやヒースの緑の根のいくつかが わたしたちのごちそうだった。そして人々はブナの実、クルミ、あるいはドングリ を見つけることができたときには、大地を母と呼び、乳母と呼びながら、なにか粗 野な歌に合わせて、樫の木やブナの木のまわりを歓喜にもえて踊ってあるいていた。 それがかれらの唯一のお祭りだった。それがかれらの唯一の遊びだった。そのほか の人間生活のすべては、苦しみと骨折りと貧しさにすぎなかった。  やがて、大地がすべてをはぎとられて、裸になり、もはやなに一つわたしたちに あたえてくれなくなったとき、わたしたちは身を守るために自然を辱しめるような ことをしなければならなくなった。わたしたちの悲惨な生活の仲間とともに滅びる よりは、むしろかれらを食うことにしたのだ。しかし残酷な人間たちよ、あなたが たはなにに強制されて血を流しているのか。見るがいい。どれほど豊かな財産があ なたがたをとりまいていることか。大地はあなたがたのためにどれほど多くの産物 を生みだしていることか。畑やぶどう園がどれほど多くの富をあなたがたにあたえ ていることか。どれほど多くの動物があなたがたを養う乳を供給し、あなたがたの 衣服になる毛を供給していることか。そのうえあなたがたは動物たちになにをもと めるのか。そして、ありあまる財産をもち、あふれるばかりの食物をもちながら、 なにを怒ってあなたがたはそんな殺害行為をおかすのか。なぜあなたがたは母親に うそをついて、あなたはもうわたしたちを養うことができないではないか、などと 責めるのか。神聖な掟をつくりだしたケレスにそむいて、また人間をなぐさめてく れる親切なバッコスにそむいて、なぜ罪をおかすのか。あなたがたはまるで、かれ らの惜しみない贈り物が人類を維持していくのに十分ではないと考えているようだ。 どうしてかれらのおいしい産物と骨とを同じ食卓のうえにならべ、乳と一緒にそれ をあたえてくれる獣の血をすするようなことができるのか。あなたがたが猛獣と呼 んでいる豹やライオンは、やむなくかれらの本能に従って、生きるためにほかの動 物を殺している。しかし、猛獣よりも百倍も兇暴なあなたがたは、必要もないのに 本能とたたかい、残忍な楽しみにふけっている。あなたがたが食っている動物は、 ほかの動物を食ってはいない。あなたがたは、あの肉食動物を食わないで、そのま ねをしているのだ。だれにも害をおよぼさないで、あなたがたになつき、あなたが たの役にたっている、罪のない獣たちにしかあなたがたは食欲を感じないのだ。そ して、そういう獣の奉仕にたいするむくいとして、それらを食っているのだ。  おお、自然に反する殺害者よ、自然はきみを、肉と骨とをもった存在、きみと同 じように感じやすい生きている存在、きみの仲間を、食うようにつくっているとこ のうえ主張しようとするなら、そういう恐ろしい食事にたいして自然がきみのうち に呼び起こす嫌悪をなくしてしまうがいい。きみ自身で動物たちを殺すがいい。つ まり、刀やほうちょうをつかわないで、きみ自身の手で殺すがいい。ライオンや熊 がしているように、きみの爪で動物たちをひきさくがいい。その牛に噛みついてこ まぎれにしてやるがいい。爪を皮膚に突きたてるがいい。生きながらその小羊を食 ってしまうがいい。まだ熱いその肉をむさぼり食い、その血と一緒に魂をのんでし まうがいい。きみはふるえている。きみの歯のあいだで生きた肉がピクピク動いて いるのを感じる勇気がない。あわれな人間よ。きみはまず動物を殺し、ついでそれ を食い、いわば二度その動物を殺しているわけだ。それだけではない。死んだまま の肉はまだきみに嫌悪をもよおさせる。きみの心はそれに耐えることができない。 火によってその形を変えることが、煮たり焼いたりすることが、香料で味つけして それを擬装することが必要なのだ。きみには肉屋や料理人や焼き肉係など、きみの 目から殺害の恐ろしさをかくし、きみのために死んだ肉体を料理してくれる人間が 必要なのだ。それは味覚がそういう擬装にあざむかれて、異様なものを吐きだすこ となく、目にするだけでもとてもがまんできない死骸を喜んで味わうためなのだ。」  右の文章はわたしの主題には関係のないことだとしても、これを書き写したいと いう気持ちにわたしは逆らえなかったのだ。しかし、そのためわたしに不平を言う ような読者はほとんどいないだろうとわたしは信じている。

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